株価の動向はファンダメンタルズと需要・供給の影響を受ける

株価は企業の経営実体によって裏付けられている

長期間にわたる付加価値の生産基盤を、ファンダメンタルズといいます。
企業レベル(ミクロともいう)でのファンダメンタルズは、経営実体・収益基盤という意味を持ちます。
投資・企業評価の基本は、その企業・銘柄が備えているファンダメンタルズが何かを判断する事です。

企業の具体的な経営実体は、以下の内容が挙げられます。

○企業が製品・商品・サービスの販売を通じて獲得した売上高
○売上高から原価・人件費を差し引いた営業利益
○金利・税金の支払い後に残った税引き後利益の実績・将来の見通し

さらに、以下のような内容も収益基盤に含まれます。

○ブランド・ネームなど収益の基になるのれん
○保有している技術・特許
○生産に関係する技術・ノウハウ

これらのような経営内容の大規模な変化・見通しの変化などは、少なからず株価変動に繋がります。

経営実体を意識しないバブルは崩壊する

1998年10月から2000年3月の間、情報通信関連株(=IT株)の価格が高騰しました。
経営実態つまりファンダメンタルズを意識せず、それぞれの業種に分けられる企業の株式を購入し続けた面がみられた事から、ITバブルと称される事もあります。

バブルは、ファンダメンタルズと相対して把握します。
ここでは、典型的なITバブル株とみられていた、ソフトバンクの株式時価総額を例に説明します。
2000年2月時点で約20兆円にも上りましたが、11ヶ月後の2001年1月時点では、20分の1に当たる約1兆円まで下がりました。
ソフトバンクの株価は、ファンダメンタルズと比較すると、非常に高水準となっていました。
そのため、調整されたという見解もあります。

2000年の株式相場は4つの需要・供給要因で動いた

その反面、短期で見ると、株価は銘柄への需要・供給によって変動します。
ここでは、投資家によって明確な需要・供給が表れている2000年の相場下落を例に説明します。

日本の株式相場は、株価指数でみると、2000年4月中旬にピークアウトした事がわかります。
最初の需要・供給は、1999年時点のIT株相場において信用買いを拡大させていた、一部の個人投資家による投げ売りが要因となっていました。
東京・大阪・名古屋の各市場における信用買いの残高は、1999年11月から急激に増加していました。

その後、2000年3月時点で5兆円にも達したほどです。
5兆円のうち、2兆円は担保割れなどによって解消され、相場崩落の初期段階となりました。

次の需要・供給要因は、金融機関による売り切りでした。
当時の銀行部門は、不良債権の処理に当たっていました。
銀行の通常業務から得られる業務純益で足りなかった処理原資を、約1兆円の株式売却益に頼りました。

2000年3月期以降、銀行が保有していたグループ企業の株式を売り切るという株式持ち合いの解消も本格化していきました。
同年9月中間期の時点では、大手16行で合計1.5兆円の売り切りが行われたという推定があります。
これらの動向も、株式の需要・供給を悪化させました。

さらなる需要・供給の要因は、日経平均の銘柄入れ替えと、ナスダック指数との連動性が高くなった事が挙げられます。
2000年4月、日経平均に採用されていた225銘柄のうち、30銘柄がIT株を中心に入れ替えられました。
そして、アメリカのナスダック指数との連動性も高くなりました。

この動向は、想定外の結果となりました。
日本の株をグローバルに運用するポートフォリオへ組み入れる目的として、リスク分散がありました。
ナスダック指数との連動性が高くなる事は、肝心の国際的リスクを分散させる効果が低くなるという意味でもあります。
そのため、外国人投資家は、自身のポートフォリオへ日本株を組み入れる比率を引き下げる事となりました。

外国人投資家の動向は株式相場に影響を及ぼす

最後の需要・供給要因は、先述の外国人による日本株の売却です。
これは、2000年4月以降に起きた相場の低迷において、最有力の要因とされていました。
当時、外国人投資家による日本市場でのプレゼンスは、すでに高くなっていました。
2000年時点での3市場投資部門別による売買代金シェア(委託分)では、外国人投資家は42.4%であり、当時の史上最高記録でした。

外国人投資家は、1999年に9.1兆円を買い越したものの、2000年には一転し約2.3兆円の売り越しとなりました。
つまり、何の理由もなしに、相場が下落した最大の要因として挙げられているわけではありません。
この時は、値嵩のハイテク株が主な売却対象でした。

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